1年という区切りがあって、よかった

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2018年もあと数日で終わり。

 

さて、テレビCMで「大人って、なっがいよ〜!」というセリフが聞こえてきた。

 

口調自体は明るく、生き生きとしているので視聴者を落ち込ませるつもりはないようだが、なんだか激萎え。ちょっと気持ちがズーンとなった。

 

なぜだろうと考えると、長い=ただただ同じような日々が、ダラダラとずっと続く

 

そんな気がするからかもしれない。

 

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長いと、飽きる。

 

学校を卒業して、社会人になって8年くらい経ったときにふと

「あと2年くらいでこの生活に飽きる」予感がした。

 

飽きたときに相手を見つけ始めたら時間を無駄に食うかもしれんと思い、「そうだ、今から手を打っとこう」と結婚したり、出産したりした。

 

思えば学生時代は、学校側が手を変え品を変えやたらイベントを用意していたように思う。

 

イベントも、クラス替えもあるし、勉強内容も変わるし身長だって体重だって変化がある。大人へと一歩一歩近づく過程で、自覚のないまま心身が成長する。

 

だからなのか、世界は狭かったはずだが、別に飽きなかった。

 

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しかし社会人になると、学生時代のそれとは全然違う。

 

会社行って、仕事して、遊んで。もちろん毎日違うはずだし、それなりにいろいろあったし、学生の時より自由だし、楽しかった。

 

おそらくあと10年会社、仕事、遊びとしていても飽きつつも楽しめると思う。

 

ちなみに私は一般的なサラリーマンよりも、変化は多い方だ(しまくま調べ)。

 

また小さいことで言えば、「左利きとして生活する」「電気がないと想定して生きる」など地味に日々に変化をつけたりしていた。

 

が、8年くらい社会人やったら飽きた。ちなみに社会人8年とか言ってるが、うち2年は無職のため社会人と言っていいのかは不明である。

 

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例えば、1日、1週間、1ヶ月、1年などの区切りがなかったらどうだろう。

 

絶望的な気分になる。

 

区切りがあるからメリハリがあるし、頑張ろうと思える。

 

ずっと昼間で夜が来ないとか、苦行である。

 

春が来て、桜が咲いて、夏に暑い暑いと言って。

お盆にご先祖迎えたり、12月に意味もなく「忙しい忙しい」と騒いだり。

 

年が明けたら「明けましておめでとう」とか、清々しい。

ほんと1年という区切りがあってよかった。

 

年末近くに書く年賀状も(書かないけど・・)、大晦日の大掃除も、家がさっぱりきれいに丸洗いされてキレイな状態で新年を迎えるのも、最高だ。

 

とくに年末の大掃除は素晴らしい。

この寒い中になんでと思わないでもないが、また寒い中やるのがオツなのである。

 

正直物を捨てるのは夏の方が気分的に捨てやすい気はするのだが、ツンとした空気のなか、家族総出で慌ただしく家をピカピカにするのは清々しい。

 

これ以上清々しいことってあるだろうか? まあ、あるか。

 

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実家にいた頃、年末の大掃除で障子にあらゆる手段で穴を開けまくるのが好きだった。

 

そして祖母が最後キレイに剥がしたあと、新しくて、実際に新しいにおいのする障子に張り替えて新品にする。

 

接着させるノリは、祖母が作った明らかに食べられる米の何か。米のノリだった気がする。

 

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そして人は新年に目標を立てたり、年末に「今年の目標は達成できたか」を振り返ったりする。

 

この1年何をして、何ができなかったか。

来年こそはと誓いを立てる。初夢は何を見たかを語り合う。なすびの夢は見たことがない。

 

1年という区切りがなかったら、メリハリがないから目標も立てない気がする。初詣も行かない。何より本当に人生に飽きそうだ。それに人間が超絶怠けると思う。

 

そう思うと、1年という区切り、時間の区切りが本当にあってよかった。

 

ということで年末の大掃除、家を丸洗いするつもりで超掃除します。

 

 

よいお年をお迎えください。