人生に飽きる、という感覚がある話

人生に飽きたな・・・と思うことがあります。

 

その日、腹がよじれるほど笑った出来事があっても、ご飯がおいしくても、明日楽しみなことがあっても。

 

それでも「あー人生に飽きた・・・」という感覚があります。

 

いろいろやってる。だけど飽きた

もともと飽きっぽい性格なのだけど、少なくとも学生の頃までは「人生に飽きた」なんて思わなかった。

 

「何もしないから飽きるのでは?」

 

別に変わった人生を歩んでいるわけではないけど、それでも一般的な同世代と比べたらいろいろと経験しているらしく、たまに引かれることもある。

 

引っ越し回数も、転職回数も、無職期間も、海外にいた期間も、仕事も、雇用形態の種類も、趣味のようのなものも、例えば一般的な企業である1社目の同期と比べると、多いらしい。

 

なので年に1〜2回程度会う友人には「今日本にいる?」とか「会うたびに違うことしてる」など言われたりする。

 

そんな周りの反応を見るにつけ、よくある人生を歩んではいるものの、おどろくほどではないが多分自分を飽きさせない程度には何かしらしているんだな、とは思う。

 

にしても、飽きた。

 

アラサーで「このままじゃこの人生に飽きそうだ」

30歳くらいのときだったろうか。

 

「このままの生活だったら、あと2年くらいで飽きる気がする」

 

そんな予感がした。そしてこの感覚は正しいだろうと確信があった。

 

仕事して、遊んで、おいしいものたまに食べて、長期休み取ってどこか行って。

 

そんな生活はそれはそれで楽しかったし、これからも楽しめるだろう。楽しめるだろうけど、満足できるだろうけど、飽きるだろう。おそらく同じような生活を10年近くもしたら飽きるのだ。

 

ということで、結婚することにした。

 

それまで29〜30歳くらいまではまったく結婚願望がなかったが、結婚することに決めた。

「飽きるかもな」と思ったから、「あー飽きた」となる前に家庭を持った。

 

だけどどうだろう、生活を変えても、その後感じてしまったのだ。「人生に飽きたな」と。

 

やりたいことはたくさんある

なぜ「人生に飽きた」なんて思うのだろう。

 

私は、まだやりたいことはたくさんある。

たくさんあるから、時間が足りないと思ってる。

 

知りたいことも、行きたいところも、ためしたいことも、勉強したいことも、調べたいことも、会いたい人もいる。目標もあるし、食べたいものもたらふくある。好きな音楽もたくさんあるし、好きなアーティストの新曲だって心待ちにしてる。

 

さらに家庭も楽しい。

子どもはおそろしいほど可愛いし、おもしろい。日々の成長は楽しくて、今度は何するんだろう、今何思ってるんだろうと楽しみが尽きない。大笑いする日も多い。

 

仕事も全部楽しいわけではないけど、稼ぐこと自体は好きだ。

 

満たされない、つまらない、おもしろくない。これらの感覚とは違う。

人生に飽きた、という感覚。この感覚が、最近根底に漂って消えない。

 

 別に死にたいわけじゃない

 だからと言って、別に死にたいわけじゃない。

 

一方で、もちろん痛いのとか苦しいのは嫌だけど、死ぬこと自体は怖くない。

 

と言いつつ、北穂で「これ足滑らせたら死ぬな」とビビったり、そして眼前で斜面を転げ落ちたおじさん(けど無事。ヨカタ・・)を見て死の恐怖を感じたことがあるけれど・・・だけど基本的には死ぬこと自体は怖いとは思っていない。

 

もう決まってることだからだろうか。理由はわからないけど。

 

「死ぬのが怖い」っていう話は聞いたことがあるし、いくつかの本でも読んだ。

確か堀江貴文さんも著書でそんなことを書いていて、それが原動力のようなものになっている、と言っていたような気がする(違ってたらすみません)。

 

宗教だって、人間が死への恐怖を持ってるからこそより深くなっていったんじゃないかと思う。だから「死への恐怖」があるのが人として正常なのだろう。

 

過去に「死への恐怖が人より断然ない」と気づいたことが数回あった。

 

死への恐怖がないって、人間として、動物として生きる力が弱い、ということなのかもしれない。

 

 対処法が見つからない

 心がジェットコースターのようにならない。これはもう7年くらいそうかも。

 

とくにここ3〜4年は・・・とはいえ産後はちょっとアレだったけど・・楽しくても、エキサイトしてても、高揚感溢れていても、胸の奥の方にシーンとした地平線のようなものがある感じなのだ。

 

本当にシーンとして動かないものがある。

軽くはない、かといって重すぎるものでもない。

 

これが取れたら、何かがスッキリして「飽きた」から解放されるような気がする。

 

にしても、この「人生に飽きた・・・圧倒的に飽きた」に対処する術が見つからない。

 

このままでいい、「人生に飽きた」がベースにある状態でオッケーだなんて思っていない。どうにかしたい、クリアにしたいと思ってる。気持ちがいいものではないから。

 

だけど・・もし対処法を見つけて読んでくれている方がいたら申し訳ないのですが(こんなとこまで読んじゃいましたね)、対処法が見つからないままでいる。

 

そして対処法が見つからないまま、人生100年時代とか言われて。

一方では『ライフ・シフト』『ワーク・シフト』とか好んで読んでますけど・・とにかくそれで今30代だから「長いな」と絶望的になったりして。

 

小学生時代も小5くらいのときに「小学校長いな・・・あと1年以上もあるのか」と思ったことがあったけど、小学校は卒業がある。大人はない。アイドルじゃない限り、卒業とか。

 

精神科行けとか言われそうですが、、、それもまた違う気がする(っていうのがやばいのか?)。

 

刺激が欲しい? いや、刺激はあまり自分には効果がない気がする。

 

となるとハードな運動とかだろうか。あと山とかかな。でも運動中や山中にいるときはいいけど、終わったり下山したらまた飽きたと思うのだろな。

 

長生きしたいと思うか

昔、親が「長生きしたい」と言っており、当時高校生とか大学生だった私はあまり理解できず、なぜ長生きしたいのかを聞いたことがあった。

 

「子どもができると、長生きしたいって思うようになるんだよ」

と言っていた。

 

時が経ち、現在子どもがいるけど、長生きしたいとはとくに思っていない。

自立するまでは、とは考えるが、「長生き」を願ってはいない。子どもがもっと大きくなったら、長生きしたいと思うのだろうか。

 

この人生に飽きたなという感覚はなんだろう。

なんで心の奥の方に、シーンとしたものが広がっているんだろう。この地平線みたいなものは、上にも下にも行かない。一定のまま、そこにある。これって、一体何なのか。

 

まあいいか。

 

ふと今思ったのは、移動が足りないのかもしれない。移動距離が。

今はいろいろ事情があるからおいそれと一人でブラジルとかまで長距離移動とかできないけど、たくさんの距離を移動したなら、スカッとするかも。

 

何だそれ、って感じですかね。

でも「移動距離が足りない」は、「飽きた」につながる一つの原因にはなっている感じがしてきた。うん。

 

とにかく今はマンゴーをキロ単位で食べたいですね・・。

 

 

 おしまい