商社勤務・フグ田マスオの発言が、時代に逆行。からの時代のちょっとした記録

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2018年10月21日放送の「サザエさん」にて。

 

サザエさんが「借り菜園」で野菜を作っている知人に触発されるシーン。

 

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「借り菜園いいわね〜。マスオさんに相談してみようかしら」とサザエさんはマスオさんに提案。

 

するとマスオさん、

「借り物人生なんて虚しいと思わないかい?」

「給料前借りして・・レンタカー借りて・・・そして借り菜園で息抜きする・・・」

 

ファ〜ン

 

フネ「野菜も生き物だから休みの日には世話しに行かないと。その度にレンタカーを借りるんじゃ、割に合わない、ていうことなんじゃないの?」

 

サザエ「ハァァー」

 

シュピーン、たららたららタラタララタララララ・・

 

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 「借り物人生はむなしい」。それがフグ田マスオの価値観。

借り菜園をするのに、給料前借りするその理由は、わからない・・・。 

 

商社勤務(海山商事営業課)28歳、男。フグ田マスオ。

 

 

シェアリングエコノミー全盛の現代に、マスオのなかなかの時代錯誤な発言に耳を奪われた。

 

レンタル(借りる)とシェア(共有)は別物であるが、考えようによっては似たようなものなので、同じくくりとしてここでは考えてみる。

 

シェアすることは特別なことではなくなった。一時の流行ではなく、定着していきそうだ。 

 

今現在の時代の記録として、残しておきたいと思う。

 

思いつくレンタル 

まずは従来からあるレンタルで、思いつくものを列挙してみる。

 

・DVD、CD、ビデオレンタル

ダスキンのレンタルモップ

・レンタカー

・レンタサイクル(バイク含む)

・レンタルドレス

・着物レンタル

・スキー用品レンタル

・登山グッズレンタル

・スーツケースレンタル

・ベビー用品レンタル(ベビーベッドなど)

 

ダスキンのレンタルモップは、とくに田舎だと高確率で契約している印象だ。私の田舎でもそうなのだが、今になって実家にあるダスキンのモップを見ると毎回こんな想像をする。

 

“皆と同じであること”が今よりずっと重要だった時代に「お隣さんも、ご近所もみんな契約されてますよ」「契約してないの、この辺じゃお宅だけですよ」のキラーワードでダスキンのモップを契約していったのだろう。と。

 

さて、DVD、CD、ビデオレンタルは生活密着型の趣味嗜好系だが、そのほかは「特別な日」のためのもの。

 

「一時的にしか使わない」からレンタルの需要が生まれたということだ。

 

シェアリングサービスを列挙してみる

続いて、思いつくシェアリングサービスを列挙する。

 

 

・カーシェア

 

・シェアサイクル

 

・シェアオフィス

 

・Air bnb(エアービーアンドビー)

空き部屋を宿泊施設として貸し借り

 

・スペースマーケット

空いているスペースを貸し借り

 

・Uber

個人の車による配車サービス

 

・軒先.com

個人や商店の軒先、空きスペースの貸し借り

 

・Akippa(アキッパ)

個人間での駐車場の貸し借り

 

・ecbo cloak(えくぼクローク)

お店の空きスペースに荷物を預ける

 

・モノオク

物置などの空きスペースの貸し借りで荷物を長期間置く

 

・シェア畑

畑をシェアして野菜づくり

 

・air Closet(エアークローゼット)

スタイリストが選んだ服を定額で借りられる

 

・Laxus(ラクサス)

定額でブランドバックを借りられる

  

このへんが思いつく。このほかスキルのシェアなどもあるが、ここでは除外。 

レンタカーとカーシェア、レンタサイクルとシェアサイクルは似ているが、旅先で使うものと日常で使うためのものという違いがある。

 

マスオが渋っていた借り菜園

ちなみにマスオさんが渋っていた借り菜園のサービスは本当にある。上記にも書いてあるが「シェア畑」がそれに当たる。

 

余談だが、私の夫はサザエさんを見て「借り菜園、いいね・・・」と早速ネットで調べ始めていた。新しいことを始めたがる人間ではないのだが、まさかサザエさんで触発されるとは・・・。

 

 シェアに何の抵抗もない 

 さて私の体感ではあるが、およそ1970年生まれ以前の世代には、やはりマスオさんのようにシェアに抵抗があったり、物は豊かさの象徴という価値観の持ち主が多いように思える。

 

一方私はミレニアル世代。この世代ははシェアに抵抗ないし、物はあればあるだけ良いという価値観はあまりない。車も都市部に住んでいる場合は必要ないから欲しくないし、物にあまりお金を使わない。

 

よく「今の人は車を欲しがらない」とたいていダメだ、信じられない、の意を含んで言われるが、こちらからしたら車を欲しがっていた時代の方が不思議である。

というか、有史以来日本で人々が車欲しがっていた時代こそほんの一瞬なワケで、となると「欲しがりません、必要になるまでは」の考えの方が平常運転なのではなかろうか。

 

とにかく、現在これだけシェアサービスがリリースされていることが証明しているように、現代(現在2018年)はこんな時代だ、ということを記録しておきたかった。

 

しかしこれだけ価値観が違うのが不思議になってきた。いつの間に時代は変わったのだろう。戦争に負けたなどの明確な分岐点がないから、なおさら不思議だ。

 

親の教育でこうなったわけじゃない

ここから先は余談、むしろ独り言に近いのでものすごく時間がある方だけお付き合いください。

 

興味深いのは、親の教育でこのような性質になったわけじゃないことだ。

 

「今の若い世代はお金使わない」と言われるが、親の教育の賜物でもなんでもない。

ただ時代の流れなのだ。お金使わない風潮の時代に、青年になっていただけだ。

時代が自然に若年層を、いわゆる「草食」っぽくさせたわけだ。

 

だからバブル世代と今の若年層が入れ替わったら草食っぽくなるし、

現代の若年層がバブル世代に生まれていたら、お立ち台で踊っていることになるだろう。

 

ちなみに私の家の話で言えば、お金持ちでもなんでもないのに親は無駄なものもバカスカ買っていた。買ったまま封を解いていない品も20年経った今も残っていたりする。近所も同じような感じだった。

 

お金について教育されたことは一度もない。

けれど私はお金が好きだし、株もやる。家の者はやたらものを買っていたが、私は形に残る物は基本的にそんなに買わない。一方兄は貯金の概念はなく、お金がなくても人に奢ったり何かを買ってあげたりする。妹はその中間くらいだ。

 

兄弟みんなお金に対しての姿勢が違う。この例から庶民の家でお金の教育をした場合、意味があるのか疑問が残る。してもしなくても、我々兄弟は何ら今と変わらないように思えてならない。

 

お金に関しては、家での教育は関係なく、時代と個人の性質によって興味、扱い方、考え方が変わりそうだ。

 

ただしっかりしたお家やリッチな家は、金融教育に意味があるように思える。

 

知人は大学進学で上京する際、父から現金で300万円渡されたという。「これを有意義に使え」と。彼は株によって2年で200万円増やし、その200万円を夢につぎ込んだ。

 

 学校で金融教育は必要か

 転じて教育現場は。

 

「学校で金融教育をした方がいい」。最近よく聞かれる言葉だ。

 

私は学校においても、してもしなくても一緒だと思うのだが、どうだろう。

 

お金の教育はしてもしなくても、必要や興味に迫られて、いずれ自ら勉強する人はするし、しない人はしないと思う。

 

「道徳」の授業があったが、あってもなくても何も影響がなかった。授業を受けら立派な優しい人間になれるかといったらそんなわけはない。それと同じ立ち位置になりそうだ。

 

そもそもお金は基本的には学生の時は親が稼いできてくれるから、実感が薄い。

何事も自分ごとにならないと、身につかないし実践的には考えられない。だから学生にお金の教育を組み込んで金融リテラシーが上がるかといったら疑問だ。

 

 わざわざ金融教育の時間をとるくらいなら、自分の好きなこと行う時間や、もしくは好きなことを見つける方法(大人になって「自分の好きなことがわからない」という人は沢山いる)などを教える時間にした方がいいような・・。

 

シェア定着を願う

とりとめも、方向性もない記事になったが、今はこんな具合の時代ということを残したかった。

 

もうこれ以上、物が地球上にムダに増えて欲しくない。

毎日車やバイクがわんさか作られてる想像をするだけで、信じられない気持ちになる。本当に全部使うのか、廃車になったらゴミはどうなるのか。

 

最近あらゆるものを修理に出すと「修理するより買った方が安い」と言われる。世の中どんな構造やねん。

 

ということで、シェア定着はバンバンザイだ。

 

 

おしまい